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​最果て

 

瑠璃色に染まる、海の果てには何もなく、見上げた先にある空は、まるであの部屋の天井みたいで、隣で眠る君の顔は、嘘みたいに綺麗だった。

心には重さがある。それは人それぞれ違って、きっと、僕らは重過ぎたんだと思う。言えなかった言葉や、忘れられなかった思い出が心の奥深くに沈み、大切にしていたもの達を巻き込んで黒く固まって、自分でさえ、どうにもできなくなる。吸って、吐いて、吐いて、吸って。ただ呼吸をすることだけで精一杯。

『死にたい。』

もうそんな言葉すら生まれなくなってしまった。痛みに慣れて、悲しみや寂しさに飽きてしまって、ついに心が諦めたのかもしれない。こんな僕の世界を変えたいと、変わりたいと願っていながらも、結局は何もできなかった無力な自分に、とうとう嫌気が差したのかもしれない。終わりはいつだって、すぐ隣にいた。なのにどうして今まで気付けなかったのだろう。いや、本当は気付いていたんだ、ずっと前から。ただ見ていなかったことにしただけ。その結果が今の僕だ。

じゃあ、どうすればよかったの?踠いて、苦しんで、傷ついて、傷つけて、ようやく見つけた答えさえも否定されて。僕らは一体、どこで間違えたのだろう。僕の問いかけに答えてくれた彼女はもういない。彼女のことを守れなかったのは僕が弱かったせいで、彼女が自分のことを守れなかったのは、彼女が強かったせいだ。優しさは自己犠牲を隠す為の言葉、君は何もかも受け入れて、その心で許してきた。いつかは限界が来る、それくらい僕にだってわかっていたのに。結局君の為に何もできず、何も言えなかった僕が、この場所にいる資格はないよね。僕がそう言うと、きっと彼女は笑う、知っている。だから僕は、ここにいる。

 

終心症。

ある日医者にそう告げられた。末期と診断された僕の心は鉛みたいに重たく、死人のように冷たかった。僕はもう、君と話すことができない、そして君も、僕と話すことができなくなってしまった。君に言いたくても言えなかったことが沢山あるのに。波の音が響く隙間もない心で、今もずっと、鳴っているこの音は何だろう。君は知っているのかな、君には僕の声が届いていたのかな。

「ねぇ、覚えてる?僕らが初めて会った日のこと。あまりいい思い出ではなかったけど、僕は大切にしたいって思っているよ。会話は少ないくせに、ラインだとお互い無駄話が多くてさ、返事をするのが面白いくらい大変だった。電車で出かけた時は二人揃って寝過ごして、慌てて降りて、でも偶然寄ることになったその駅が、とても居心地がよかったりして。僕は、君との時間が大好きだった。沢山の声が溢れる桜が綺麗な公園を、ただ一緒に笑いながら歩いて通り過ぎた春も、暑いと思いながら、お互い手を離さないでいた夏も、紅葉に負けないくらい、頬を赤く染めた秋も、理由もなく寂しくなって、泣いてしまった冬も。本当に、本当に僕は大好きだった。君のおかげなんだよ。君は白黒の僕の世界に色をつけて、意味のなかった四季に意味をくれた。幸せだった。君はどうだった?今更こんなことを聞くのは卑怯だよね。ごめん。あの時何もできなくて、何も言えなくて。」

人は失ってからその価値に気付くのではなく、きっと失ってからその価値と向き合うことになるのだと僕は思う。塞き止めていた何かが消えて、最初からそこにあったものが溢れ出してしまうような。でも、それはとても綺麗だった。本当も嘘も、正しさも間違いもどうでもいい。意味だけが、心だけが詰まったその言葉が。

「     。」

 

眠り続ける君へ、僕は言った。

 

僕らはいつまで経っても現実から逃げられなくて、いつまで経ってもひとりになるのが得意で、いつまで経っても言えないくせに、最期は笑って終わりたいと、そんな奇跡を願ってしまうんだ。でも、それは悪いことじゃない。贅沢なことでも、特別なことでもない。だって奇跡なんて、幸せなんて、見えていないだけで、きっとそこら中に転がっているのだから。

 

瑠璃色に染まった海が、朝焼けでオレンジ色に輝く。空は相変わらず高くて、ここで眠る僕らはきっと、幸せだった。

 

 

 

 

 

[ 終心症 ]

言えなかった言葉や気持ちが心の奥に沈んで固まる病。些細な気持ちも受け取れなくなり、言葉を生み出せなくなる。最後には心が機能しなくなり、体は抜け殻のように動かなくなる。命に別状はない。

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